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by 長田朗 | - | - | -
塩竃のその後(5)

(昨年、3月撮影)

塩竃その後(5)

塩竃港は、震災前は
マグロ水揚日本一だ。
JR本塩釜駅前の
マグロが跳ねる
ポストは目を引く。
このあたりは私の背丈ほどの
津波が押し寄せていた。
近くの電話ボックスのガラスの壁面の
汚れが物語っていた。
当然、このマグロ君も水没の
憂き目に会ったはずだが
ところどころ小さな傷はあったが
たいした損傷は無かった。
マグロ君本人もまさか
海の水にさらされるとはゆめゆめ
思わっかたであろう。
今回、マグロ君と再会。
駅前のゴミの山も無くなり
マグロ君も、修理され
ピカピカに磨かれてあった。


(今年、7月撮影。ピカピカのマグロ君)

今回、1年半ぶりに東北を訪れた。
塩竃・松島地区の復旧復興は他地域に比べて
いいペースで進んでいるように見えた。
しかし、立ち止まってよく見ると
津波の傷跡は随所に残っている。

明るく接してくれる住人の方々も
話が進むにつれ
私たちには
軽々しく相槌すら打てないような
重て辛い胸のうちが垣間見れた。

土見さんが
「浦戸諸島では半数以上の人達が
島を離れて陸に来た。」
といっていた。
おそらく震災前から、
過疎化、高齢化、限界集落など
深刻な社会問題に直面していたのだろう。
復旧するにも、一部、自己負担金が要る。
仮に復旧できたとしても
以前から横たわる深刻な社会問題は
前にもまして立ちはだかり
立ち上がろうとするものたちの
やる気を根こそぎ引っこ抜く。

わが街伊勢も
対岸の火事
ではいられない。

巨大地震の想定区域内にある
この地域は津波による被害は
大変深刻な状況になろう。

(昨年、3月撮影。本塩釜駅前)

住民同士のつながり、
地域の事業所とのつながり、
自治体同士のつながり
様々な絆が
いざとなれば命綱になる。

その絆を少しでも強くできるよう
今できることを洗いなおさねば。

(つづく)














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塩竃その後(4)
塩竃その後(4)

下の数枚の写真は、昨年3月下旬
塩竃港周辺の様子。
街は津波の置き土産のヘドロにより
すべての生活用品は
価値の無い不燃物と化し
あたりに泥臭い臭気を放っていた。

 



打ち上げられた船はいたるところに
不自然な存在感を放っていた。

===============

今回、同じ場所を訪れた。


マリンゲート周辺やマックスバリュー周辺の
代わりようは驚嘆に値するほどの復旧振りだった。
船をはじめ瓦礫や倒壊した家屋など
跡形も無く撤去されていた。
まだまだ爪跡は残るものの、
人の力のすざまじさを
うれしく感じた。

そして、その跡には、仮設のみなと復興市場が
開かれていた。
この日は、朝早かったのでオープンはまだ。
扱う海産物や賑わいのほどは確認できなかったが
今日は、海の記念日、みなと祭。
さぞや威勢のよい市が開かれるのだろう。
(つづく)
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塩竃その後(3)

(昨年3月、塩竃港にて)

塩竃その後(3)

上の写真は、昨年、塩竃港ビジターセンター付近で
撮影したものだ。

無知な私は、てっきり観光地によくある
遊覧船か何かと思い込んでいた。
不思議とすまし顔の二隻の船が
ふしぎと妙に気になった。

辺り一帯は、大型船が打ち上げられ
横倒しになったりする
ご覧の惨状にもかかわらず



(上の5枚は、昨年3月撮影)

この2隻だけが、何の被害も無く
まるで、正座でもしているように
涼しげにたたずんでいたのだ。

内、一隻たるや、
岸壁に打ち上げられてもいなかった。

幸運な船もあるものだ。

これが私がシャッターを押した
唯一の理由だ。

しかし今回、塩竃に行って驚いた。

この日は
塩竃神社みなと祭
「神輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ)」の日。
朝一に、神社で土見さんと再会を果たし
その足で港に向かってビックリ。


観光遊覧船と思っていた
極彩色の竜の船が
昨年と同なじ場所に二隻とも係留され
しかも、目いっぱい飾りが施されていた。

周辺には氏子と思しき青年たちが
手際よく飾り付けを進めていた。

聞けば、この船は今日の主役
神輿海上渡御の御座船。

(中央の台座に神輿が据えられる。)

「神様にお仕えする船は
たいしたもので
あの大津波にも
傷一つつかなっかた」

説明してくれた青年は
まぶしそうに御座船を見つめていた。

御座船との不思議な再会でした。



ちなみに御座船の名前は、龍鳳丸と鳳凰丸(りゅうほうまる、ほうおうまる)です。

(つづく)
 
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塩竃のその後(2)

(塩竃神社の神輿)

11月3日 塩竃のその後(2)

土見大輔氏と連絡がついた。
翌日、早朝、塩竃神社の神輿の前で
再会した。
1年半ぶりの、再会だ。

 =======
昨年3月、この地を訪れたとき、
彼は、ツィッタで塩竃の情報を
克明に発信していた。

塩釜入りして真っ先に彼と会い
様々な情報を頂いた。



(昨年3月 初対面での意見交換)

彼は当時、東北大工学部大学院生だった。
やさしい口調で話す彼の言葉からは
若者らしい情熱と前傾姿勢の行動力を感じた。
立ちはだかる信じがたい現実の悲惨な有様と
自らの非力さのハザマで葛藤していた。

しかしその後
彼は、その解をみつけ、
大いに復旧の役目を果たしている。
それは、浦戸諸島の復旧・復興支援である。

塩竃地区、松島地区は
大災害には違いないが
他地区と比較すると
被害は少なかった。
これは地理的な要素が大きい。
(地図参照の方はココをクリック)

松島湾の入り口に位置する
浦戸諸島が自然の堤防の役目を
果たしてくれたのだ。
お陰で市街地へ押し寄せた
津波のエネルギーは
大きく減衰された。

代わりに浦戸諸島の惨状は
言うまでも無い。
しかし、離島の復旧はどうしても
後回しになっていていた。

土見氏は離島支援に
市民レベルで取組み
大きな成果を上げてきた。

============

彼は、この日、神輿を担ぐ。

早朝より、禊(みそぎ)、白装束への着替が
神社で行われる。

忙しい中時間を作ってもらい
神輿前で彼を待った。


(神輿は約1トン。16人の担ぎ手が担ぐ)


(この坂を、神輿が降り海へと向かう)



(土見さんと私)

土見さんと再会できた。

白装束の土見さんは、とてもりりしく映った。
お互い、この一年半の近況など言葉を交わした。
神輿談義に花咲かせたいところだが
時間も無く、土産の赤福を渡し彼とは別れた。
紹介していただいた仲間3人も
復旧・復興に情熱を傾けるメンバーで
笑顔がすがすがしい若者だった。

(つづく)

 
(土見さんとその仲間たち)
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塩竃のその後(1)

(昨年3月25日)             (今年7月16日)


塩竃のその後(1) 

7月15、16日の両日、塩竃市を訪問した。

全国氏子青年会の全国大会が開催された。
この年で青年会全国大会でもなく
はじめは少し迷いもあったが、
来年の氏子青年会の
全国大会開催地が伊勢であり
内宮さんに白石奉献におみえと聞き
次回開催地としてアピールを
させていただきに行った。

また、塩竃は昨年3月に訪れた地であり、
一年四ヶ月後の復旧復興の様子を
この目で見たかったことも大きかった。

6回ぐらいのシリーズでブログ書きます。

当時、震災から二週間後であり
津波の被害は甚大で
手の施しようのない
途方にくれた街のたたずまいであったが
数日の滞在ではあったが
昨日より今日
今日より明日が
少しずつ復旧に向け
歩みを始める姿が
街のあちこちで見られるようになっていた。

津波が街に撒き散らした泥は
磯の香りではなく
強烈なへドロ臭。
各家々からは大量のゴミが
玄関先にほうちされたままだった。

しかし、この地を去るころには
清掃課の体制が復活したとみえ
あちこちでゴミの回収が進み始めていた。

トップの写真は
ホテルグランドパレス塩竃です。
当時、塩竃で唯一開業に漕ぎつけたホテルだ。
避難所暮らしの市民に
シャワーのサービスも始めていた。

正面玄関にうずたかく積まれたれたゴミの山。
皮肉にも、
その上で幸せいっぱいの微笑を放つ
ブライダルの看板が印象的で
シャッターを押した。

見事な復旧ぶりに
ガツンとやられたが
嬉しくてしょうがなかった。


(昨年3月25日)             


(今年7月16日)

次に魚市場に向かった。
ここの被害も大きかったし、
当時、200トンほどの漁船が
岸壁に打ち上げられていた。

行ってみると
船は如何に処理されたか知らないが
跡形もなく撤去されていた。

しかし、よく見ると
漁船が打ち上げられていた部分が
大きく陥没していて
その傷跡は生々しかった。

(つづく)
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塩竃 4
 

塩竃

塩竃に着いてまず感じたのは、
『どぶ臭さ』であった。
これはテレビでは伝わってこないことである。

海の水が押し寄せてくるから、
塩分が多くて磯の臭いが漂っている
いると思っていたが、押し寄せてくるとき、
底にたまったヘドロを根こそぎえぐりとり
陸地に攻めてくる。

道路や建物の中は、
津波の置き土産のヘドロで
そらじゅうが、汚されていた。

車が通り抜けると
乾燥ヘドロの粉じんが
砂煙となって巻き上げられていた。

ひっくり返った車や
岸壁や道路に打ち上げられた船舶は
その力のすさまじさを語っていた。


(遊覧船も岸に上がっていた。)

塩釜港は、この日、2000トンのタンカ−が入港した。
被災地の悩みの一つ、ガソリン不足を補うため
北海道苫小牧港から入港した。

ガソリン不足は深刻で、あらゆる活動に支障をきたす。
県外から来る方は特に、マイカーを避け
公共交通機関の利用に最大限配慮すべきだろう。

港が復旧するには、接岸護岸の復旧と
航路にある障害物の撤去である。

航路障害物の撤去は、地元の漁港や
消防団などが協力し漂流物、
特に、漂流漁網の撤去が行われたそうで、
漁網はスクリューにひかかるので
厄介な存在だそうだ。

いずれにせ、伊勢志摩と塩竃を伊勢湾フェリーで結ぶ
計画にとって、朗報である。


(本塩釜駅前)

周辺の港は、皆、壊滅的な被害を受け
復旧のめどが付いていない中での
塩竃港の復興の早さには
ある地形的な事情があった。
(つづく)
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塩竈 3
 

塩竈

二つ目の目的は。
「伊勢志摩地方から海路による
支援や受け入れは有効だ」

塩竈港は、港湾施設の被害は比較的少なく
出発当時、最も、復旧が早く
すでにタンカーが入港でき
海からの物流拠点になりつつあった。

私の考える海路とは
塩竈港と伊勢志摩地方を結ぶ海路で
伊勢湾フェリーの予備船の臨時運行である。

被災地への補給路は東北自動車道と
東北本線であるが、
原発事故の深刻化により避難指示エリアが
広がることが考えられ
陸路による補給力が弱まることが考えられる。
陸路を補完する手段として検討されるべきだ。



また、支援物資運搬にはトラックが使われ
その他の支援活動にも車両が必要となる。
すると当然、ただでさえ不足する現地のガソリンを
消費せざるを得ない。
フェリーであれば、燃料満タンの状態で
塩竈に上陸し目的の被災地に走っていける。
帰りには、ゴミや不用品を持って帰ってあげればよい。

また、県外への二次避難の話も進み始めている。
政府は、一泊三食5000円を出すという。
コミュニティ単位で伊勢志摩で受け入れができるはず。
フェリーならまとまった人の移動をサポートできるし
県外への二次避難の際の身の回り品なども
車ごと積み込める。



また、ボランティアの人たちもフェリーを利用し
被災地へ赴き、停泊中のフェリーを
宿泊施設として利用可能。



昨年9月で、廃止となることが決まっていた
伊勢湾フェリーも、廃止は免れたものの
苦しい経営を迫られている。

このような国難の時、役立つ存在となることは、
防災の観点からもその価値が高められよう。

このように様々なメリットがある。

「海路の可能性」を探るのが
二つ目の目的だった。
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塩竈 2



塩竈

東北自動車道の、通行規制が解除され、高速バスが走り始めた。
JRは各線運休でこのバスが唯一の公共交通手段。

26日(土)の新宿発仙台行きの高速バスのチケットが手に入った。

飲料水、食料(カロリーメイト、ビスケットクッキーなど)、寝袋を
ザックに詰め込んで、この日の昼すぎ、家を出た。
被災地では、できうる限り、自己完結型でいたい。




今回の目的は二つあった。

一つは、「顔の見える支援がしたい」である。



震災以来、義援金、援助物資、公営住宅の提供…など
被災地、被災者に対する様々な支援活動が行われている。
実に結構なことだ。

しかし、日本赤十字社へ集まる義援金は、
出発当時400億円を超える勢いで集まっていたが、
一向にその活用のめどは示されない。
今日現在でも、700億を超えたが
被災者には1円も届いていない。

物資だって、今、何が必要なのかがわからない状態で
とりあえず県を通じて受け付けは始まったものの
無駄になってごみとなる支援物資もあるだろう。

お金、物資だけでなく、マンパワーも含め
顔の見える支援ができないものだろうかと考え
思い悩んでいた。

農業分野では、顔の見える販売がある。
農家が直接、消費者に販売する。
パッケージに生産者の写真名前が入っているものもある。

作る側の農家も満足感が得られ、
買う側の消費者も安心が得られる。

これに似た支援ができないだろうか。
顔の見える支援ができないだろうか。

これが目的のひとつであった。








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塩竈 1

(仙台駅は完全閉鎖でした)


塩竈から帰ってきました。

3月31日早朝、東京に到着し
正午過ぎに伊勢に到着しました。
夜行バスでの強行軍の疲れや
キャンセルしていた様々な予定の
切り盛りにおわれて
昨日まで、お疲れモードでした。

塩竈に出発したのは、
26日土曜日でした。
現地での負荷を最小限にとどめるには
公共交通機関を利用するのが原則で
マイカーの利用はひかえるべき。
数日前に東北自動車道の
一般通行規制が解除され
東京発仙台行の夜行バスのチケットが
手に入ったので、
さっそく現地に向かいました。


(この高速バスできました)

新宿発深夜0時。
仙台駅着朝6時30分。

数年前訪れた活気あふれる仙台駅は、
そこにはなかった。
あらゆる路線が終結する東北地方の扇の要の
仙台駅には、立ち入り禁止の幅広の黄色のテープが
入口という入り口に張り巡らされていた。
大きく貼られた案内には
各線の運転休止状況が示されていた。



塩竈までは20キロ弱。

タクシーに乗る。

仙台市中心市街地は、
ライフラインも復旧していて
見た目には震災の傷跡は見られなかった。

これは阪神淡路大震災での光景とは
比較にはならない。
この思いは、滞在中常に感じた。
阪神淡路大震災以来、その教訓が活かされ
耐震化が政策として積み上げられた結果であろう。

国道45号線を東へ向かう。
まだ、7時になっていないというのに
道の片側だけに長蛇の列。


国道が渋滞しているのではなく
ガソリンスタンドに続く長蛇の列。
何ブロックも続き、交差点では列は枝分かれし
とぐろを巻いている様相。


運転手さん曰く
「一回の給油はせいぜい10L強。
タクシーはガスだから
備蓄もあって困っていない。」

隣町の多賀城市へ入ると
景色は一変した。

道の両側に自家用車が無造作に
泥まみれで転がっている。


多賀城市にはトヨタ、ソニーをはじめとする
様々な企業が大規模な生産工場をゆうし、
今回、輸出待ちの新車も津波の被害を受けた。
撤去に要する台数は、多賀城市だけで
6000台あるという。

午前7時30分 塩竈着。(つづく)


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塩竈へ行ってきます。

(塩竈神社)

昨日、土曜日の東京発仙台行の夜行バスの
チケットが手に入りました。
仙台からは、タクシーで塩竈入りする予定。
帰りの便は、仙台発東京行の
30日の夜行バスを押えました。

阪神大震災の時は、芦屋市でボランティアに参加した。
アパートの上の階に住む高齢者に水を届ける仕事など
担当し、夜は公園で野宿し、
まさか、避難所で配給を受けるわけにいかないので
自炊もした。

新潟中越地震では、
小千谷市のボランティアセンターの
立ち上げに協力し
このときは、全国から届く支援物資
毛布、水、カップめんなどの荷降ろし作業と
物資管理を担当した。

テレビ映像ではなかなか伝わらないものがある。

避難所の独特の悪臭とトイレの悲惨さである。
どちらの震災の場合も、インパクトではダントツ1位だ。
何ができ、誰が待っていてくれるのか知るすべはないが、
行動することで、何かが変わり始めることは
経験的に知っている。


今回の被災地訪問は“ボランティア”とは少し違う。
実は、少し考えている事があります。
帰ってきたらまた詳しく書くつもりです。


とにかく、行ってきます。
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